✨多謝✨
手術の日になってしまった。。
4歳の時以来の 開腹(;_;)
あの時の 心細さと痛さ(を感じで辛かった記憶)が 蘇る感じ。
幼稚園に入園したばかりの頃、
お腹が痛くて 自宅で寝ていた時、何故か父が横にいてくれたな…と突然その時の風景を思い出して電車の中で涙が出て。。
父に対して申し訳ない想いになり、電車を降りて改札へ向かいながら父に電話をした。
もう涙が溢れて止められない😭
マスクをしていて良かった^^; 💦
泣き泣きのまま 歩き、病院へ向かうが 「このままは入れないな」と思っていたところ、病院の受付の方から電話が入り、現実に引き戻される😅
父には 愛されていたと 思う反面、
母は ちょっと違った感覚だった。
自己啓発のプログラムに出ていた時にも そんな想いが何度も出てきた。
でも それは 事実でなく、わたしの主観でしかない。
…という事も頭では理解していたが、
その当時は 腑に落ちない感覚があった。
「腑に落ちる』って 凄い表現だと思う。
肝心(腎)要とか、肝に銘じて、五臓六腑にしみわたる、度肝を抜く、肺腑を衝く、はらわた(腸)が煮え繰り返る…などパッと思い浮かぶだけでも次々出てくる。
日本は感情的な部分では脳より 臓器を重要視していた文化のような気がする。
もちろん、頭を使った慣用句もたくさんあるが、頭の方は外的環境やそれによる影響下のような印象。
これもわたしの主観(*^^*ゞ
エニアグラムという心理学がある。
人は9つのタイプに分けられる…いう学問で、わたしのタイプは 感情からの情動で動くハートセンター。
故に、主観を事実のように捉えてしまうことや、客観視に欠ける傾向がある。
そして、社交辞令や 逆に土足で自分の気持ちやテリトリーの中に入って来られるようなことが苦手なことも共通点。
逆にそういうコミュニケーションや客観視が得意なタイプの方もいらっしゃる。
(だから世の中が、廻っていくのだろうが…^^;)
そして、
ストレス過多で負荷がかかり過ぎると、各タイプの退行の方向へ向いてしまうと言われている。
わたしの場合は、人に寄り添いたくなるらしい。
例外ではなく、手術前に…と朝からおチビ達の所へ行き、朝活に出て、父に会いに行き、高速に乗って 超珍しく母の所まで行った。そして、数少ないお友達にも遅れたお誕生日プレゼントを届けに行った。
通院ギリギリまで人に会いたかったのは、今思い返すとこういうことだったのかな…と思う。
それから。。。
今回、手術するにあたって いろいろな方にお気遣いをいただいたのが身にしみて。。有難かった😭
前日の夕方、珍しく電話をくれて、夜遅くウトウトした後だろうなぁ~と思う時間にも気持ちを汲んでLINEを返してくれた友人。
わたしの手術は忘れているのだと思ってしまった程「手術」というワードは一切言わないのに、昨日に限ってはお仕事中も何度もLINEをもらい、手術終わった後は快復と気晴らしの為に温泉探しなどの話題づくりをしてくださる友人。いつもながらの細やかな配慮に脱帽だった。
そして、やはり普段は お仕事中はLINEしないのに、始終、冗談ばかりの なぞなぞのような絵文字LINEで笑いを提供していただいた方や、月末の忙しい中で深夜までお仕事なのに、明るく楽しいLINEを夜中まで返してくれた人…。以前も 携帯の調子が悪かった時、ネットで調べてアレコレ情報をいただいて ホントに感謝感謝だったな。。。
今年手術を経験なさった方からも、気を紛らわせながらも経験談や心配をいただいて、術後痛み出すタイミングでお気遣いや注意やもいただいた。
断捨離後の数少ないお友達だけれど、それだけにみんな温かく素敵な方達ばかり。。。😭
『守破離』という言葉もあるように
「学び」は「まねる」ことから。。。
素敵な方々から少しでも『まねび』たいな…。
感謝がしみた24時間だった。
ありがとう❤️
急に行ったのに さっとこういう事ができる母…
ソーイングも編み物も絵も上手なうえに お筝、茶道、華道、テニス、中国語、卓球、絵手紙、トールペイント…と習い事をこなすバリバリのキャリアウーマンだった。
いまは 尊敬できる✨
…が、1つも 受け継いでいない わたし^^;
母の所へ行くといつもこだわりのお豆を丁寧に挽いて珈琲をいれてくれる🤎
その時々でいれかたが変わるのも尊敬✨
うちの子たちへのバースデーカードを描いてくれていた💓
作品集✨
この女の子 凄く好き💓
絵本に出てきそう♡(ღ˘⌣˘ღ)
納豆の蓋が…まさかの変身Σ(๑º ロ º๑)
幼い頃廃材とか使って何か作るのは 祖母にとても嫌がられたな…
母もしなかったケド。。
歳とったのかな〜笑