Change the Life✩。 *。✩

日々の何気ない日常を 徒然なるままに綴る日記です

3.11

幼少の頃から 地震がとても怖い。

 

ラジオから流れてきた10年前の話。。

それまでの ほんわかとした気持ちから、一変して 心が硬くなった。

その前の早朝ラジオ番組…パーソナリティーがピアニストの方だと今日まで 思い違いをしていた^^;💦勘違いをしたピアニストの方が弾いたピアノ曲が、以前ラストの曲にオンエアされたことと、後部席はラジオのボリュームがoffなので、注意深く聞こうとしないお聞こえない中で、お名前も似ていた為てっきりピアニストの方だと思い込み、聞いていなかった。

それが!!そのパーソナリティー忘年会をしていた友人が2回、わたしにくれた本の著者さん番組を今日初めて気づいて✨とても気分が上がったところだったのに。。

 

地震に対して、わたしの怖がりようを見ていた母は「 祖母から関東大震災の話を聞いていたから 異常に怖がった」と先日 母のご主人に言っていた。

 

祖母の話は 祖母が子どもの時の震災体験。

曾祖父が新宿の青梅街道で、八間間口のお米屋さんを営んでいた頃のお話。

お昼時に、祖母のおっかさんが、お昼ご飯の為に七輪で秋刀魚を焼いていた時に揺れたのだそう。

当時は当然ながら、食事の支度は炭や薪などだったから お昼時で皆、火を使っていた。それが命とりだった…と。祖母のおっかさんは 慌てて井戸に七輪を放り込んだ為に火事にはならなかったらしい。(その井戸は後からどうしたのか?と聞いたけれど答えてもらったような記憶が無い…)

周りの家の火を消して回ったことや、都電を引くために積み上げていた線路が崩れてきた話とか、天井まで積み上げていた米俵を 綱引きに使うような太い縄で縛っていたのが切れてドンドン米俵が降って落ちてきて怖かったとか、下町の方は火の海で夜まで空が赤く、水を求めて川に来た人達の死体の上を歩いて、後日 川を渡れたらしい。

家が焼けた人や、稼ぎ頭が亡くなり困った人などに、曾祖父はお米を配り、「仏の○○さん」との異名をいただいていた人柄だったよう。 それに加え昔はツケで支払う風習だった為、大晦日近くの集金も厳しくは取り立てられず、代金を回収出来ない事が度重なり、お米屋を潰してしまったらしい。

祖母の姉はとても賢い人だったと言っていた。知恵熱…と言う言葉があるように、祖母いわく頭が良すぎて、熱で亡くなった…と言っていた。昔はストレスなんて言わなかったのだろうけれど、 震災からの心労があったのではないかと、今は思ったりもする。

 

以前、手相を観てくれる人に地震に対する恐怖心を告げたことがあった。

手相…といっても、わたしが鑑定に使うような一般的な手相ではなく、両手の手の平を上にして差し出し、その手の上に リーディングをしてくださる方が手をかざして読みとる…という特殊な手法。

そこでの答えが とても深いところに堕ちたような感覚があった。

その解答のせいか否か、今は 以前のように 足がすくんでしまうような湧き上がる恐怖感が薄れたように感じる。。

長くなるので その答えはいつか機会があれば書いてみようかな…。

 

祖母は生前よく「お前が書いてくれるなら 本がかけるくらいの人生だよ」と言っていた。わたしのおぼろげな記憶に断片的に残るだけでも相当なものだ。

 祖母の話を キチンと もっと たくさん 聴きたかった。

話を聴くこと。。それだけでも 気持ちが軽くなったり 心が晴れることも あっただろうに…。

 

親孝行したいときに 親はなし。

 

3.11の身につまされる話と、

仕事での疲れと、様々な感情と相まって、わたしが祖母を殺してしまった…という 遣る方無い気持ちになり 涙をこらえる。

今日は、午前休憩無し。お昼も15時も短縮だったことと、気疲れと歩けないストレスと最近のプライベートな事と…で仕事終わって久しぶりにどっと疲れた。乗り合わせの人達を待つ間に 車の近くをウロウロして何とか2万歩達成㊗

ヘロヘロになっていたところ、5番目ちゃんが 車に乗り込む前に、コンビニに寄って【頼んでいないのに】わたしにコーヒーを買ってきてくれた😭♡

先日に次いで2回目(´。✪ω✪。 ` )

嬉しくて 疲れも凹みも 飛んだ気がした♪。.:*・

 

 

 

いつもの お気に入りスポット✨
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日の出が早くなった。。

東日本大震災で 止まっている時計のように、わたしの中で止まっている時計が いくつかある気がする。

外の時間は止められないし、こんな風に季節も移り変わっていくのに。。

時計を見たら辛くなるのは明確。。

それも 手放していかなければ…。